近代以前の歴史

近代以前の歴史

古代から江戸時代に掛けての別姓問題

そもそも日本の氏名という問題について歴史を紐解いていくと、その古くはなんと飛鳥時代から継承されており、歴史の代表的な例として考えられるのは氏姓制度という、テストに出すから気をつけるようにというレベルの単語を聞いた覚えがあるでしょう。古くはその問題にまで起源を遡ることができるのです。1000年以上前までそんなに振り返ることになるとは思いませんでしたが、よく考えてみると確かに関係しているというのは分かるかもしれません。最もこの当時からすれば現在の氏名とはまるで性質が異なっていますから、全く同レベルの問題であるというわけではないので厳密にいえばそこまで酷似している問題である、とも言えないでしょう。

ちなみにこの頃は同氏と別氏の両方の例が存在しているときもありましたが、その後1004年になると氏の方を同一のモノとする動きが出たことで統一化するようになったのです。それに伴うかのように同氏が増えることになったのですが詳しい理由は判明していないためになんとも言えないのが現状であるというのが現在の見解で収まってしまっている。

その後平安時代に差し掛かると通字というものが使用されるようになりました。簡単に言えば、この時代の人々の名前というものには必ず入っている漢字をみた事はありませんか?これは父から子へと名前の漢字に用いられている一文字を伝承的に子供へと引き継いでもらうシステムとなっているのです。これは『家』というものが形成されたことで、より一族としての繋がりを求めて誕生したシステムとなっているので実に日本人らしい発想だといえるでしょう。もしも自分の名前に父親と同じ漢字が用いられている場合には、家系的なもので通字を意識して利用している可能性もあります。今の時代ですとものすごい名前を用いられているようなDQNネームみたいなものがあるため、なかなか本当に子のシステムを取り入れている家系は少ないと思いますが実に日本的な伝統で良い文化だと思います。

そんな時代でもまだ氏姓制度は用いられていますが、具体的な日時は明確にはなっていませんが姓はいつの頃からか『セイ』という現在の呼び方に定着するようになったのです。またこの時代から新たに導入されたのが『名田』の名が『名字』として利用されるという風に変遷を辿ることになり、これはまずが人民に広がっていきます。どのような違いがあるのかというと、氏姓というのはあくまで世間一般で見られるための公的名前であり、氏名というのはあくまで私的な用途で用いられる名前という風に当時は区別されていました。これは武家などのシステムで分かりやすいと思います。一番分かりやすいシステムを上げるとすれば『豊臣秀吉』でしょう。豊臣秀吉の生来の名前としては『木下藤吉郎』という名前で、これが先ほど話した氏名になります。その後様々な名前に変遷することになって、ようやく史実にも登場してくるような氏姓である『豊臣秀吉』として最終的には落ち着くことになります。

今の日本では考えられないシステムですね、そんなシステムが罷り通っていたことを考えるとやはり武家というものは平民よりも上の立場にいるということを考えたときには尊敬に値するような名であるべきだ、そんな世間体を気にするような一面もうやはり必要なものだと判断したのでしょう。もちろんこんなシステムは平民にとっては無縁のことでしょうが、そうして本来の名前ではない名を武将として生きていく場合には手に入れることになるのでしょう。

ですがこのシステムもそこまで頻繁に利用されていたというわけではなく、鎌倉時代までは氏姓の使用が一般的に用いられており、さらに夫婦も別氏を利用している環境でした。一言で表すとしたら非常に複雑なシステムですね、今でもこんな古代の日本の氏制度が生きていたら本当に面倒くさいことになるのは明白です。ただでさえ読めない名前の漢字をしている子供が増えているのに、名前すべてがDQNネームで変更可能というのは考えたくもない状況でしょう。

選挙行こう

江戸時代までに変化する

時代が進むごとに氏姓も氏名もその変化を繰り返すようになり、家産などが継承できる家が本格的に成立すると夫婦同名字が一般化して、名字を家名として用いられるようにもなったのです。摂関家でも夫婦別氏ではあるものの同名字を取り入れてるようになるというような動きも見られるようになったのです。

その後江戸時代に差し掛かると武士の身分を持っている人以外は氏と名字を名乗ることを認められないようになった。とはいえ使用することを禁止しているということではなく、名乗るということを禁止しているだけであって当時から氏と名字を持っている人はいたと言われています。この時の名字というものは変化することはないというわけではなく、その時々によって変化を伴うこともあったそうです。中には何度も変更する人もいたそうですがそれはあくまで個人の趣味という範囲で行われたものであり、特別な決まりなどがあって変えたというような決まりもありません。その時々によって名前をかえるということになると、どうしても何か悪さをして逃げるために変えていた、としか考えられないのは個人的な偏見でしょうか?

またこの頃の庶民の戸籍に書かれる伴侶の名前にはほとんど『女房』という、一体誰のことを指しているんでしょうかと疑問したくなる名前を書いていた、というようなことも考えられていますが実態に関しては判明していないので、事実であるとは言えない。でもこの時でも夫婦は同名字であったと考えられています。しかし、もしこの時代の戸籍に妻の名前を『女房』なんて書いて、嫁候補が複数人いた場合誰のことを指しているんでしょうかね?

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