近代以降の歴史

近代以降の歴史

明治維新後の動き

名前に関する政策に大きな変化をもたらしたのはやはり明治維新という、それまでの閉鎖的な空間においての国家状況が強く影響しています。何事も全てこの明治維新が全ての歴史的なターニングポイントになっていますね。現在の氏名制度もその原形を形作ることになるのはこの頃からですね。とはいえ、明治維新が来たからといって庶民全てが納得して受け入れて国際社会に生まれ変わりましょうと、脱皮できるほど柔軟な思考をしているわけではありません。それは氏名制度にしてもそうでした、平民でも名字の使用が認められるようになりましたが、大半の人が名字を使用することはありませんでした。当然でしょう、古代において名字というものは余分に税金を徴収されるための目印になっているのではと警戒心が出てしまったからです。それまでの歴史の動きにおいて考えたらそう思うのはしょうがないでしょう。

しかし国としてはなんとしてもこの氏名制度を全国規模で導入することを強く求めていました。当時は中央集権国家を実現しようとする流れもあり、すべての国民を把握するために現在の戸籍法の原型が定められるようになり、世帯を単位とする住所や身分登録などが行なわれるようになったが前述のとおり国民が名字を使用するという事に対して大半が納得しない状況だったため、政策の動きとしてはけなされてもしょうがないような鈍重なまでの動きでした。

このことに対して一番業を煮やすことになったのは軍部でした、その最たる理由として国を守るための軍事力たるものを強化することに支障をきたしているということでした。新たな時代を迎えたということで、今後も日本国民一丸となって国を守って行こうとする国民皆兵制度の動きを強めたかったために、名字の使用というものは必要不可欠なものであると軍部は結論付けていたのです。ついには司法省に対して何とかした政策を広げてもらうために、法整備を行うようにと糾弾するようになったのです。その結果として、ようやく名字=氏という使用を日本国民全員で使用することを義務付けるようになったのですが、その後には婚姻の際には氏をどうするかという問題が噴出することになってしまったのです。この時には婚姻後の妻の氏は実家の氏とすることが定められるようになっていたのです。

その後更に当初ドイツで実際に行なわれていた夫婦同姓案を採用しようとする動きが見られましたが、日本伝来の家父長制に反するとして反対の声が非常に強かったこともあり、あらためて戸主制度を導入した家制度を構築して、戸籍は家を意味しているとした。この時より今の日本の夫婦同氏という制度が始めて明確に法制上の中で規定されることになったのです。ここまで来るのに相当長い道のりを経験することになったのですが、この制度も長く用いられることはありませんでした。

戦後から現代へ

氏名制度が更なる変化を遂げることになったのは戦後でした、この時代において明治に定められた戸主制度は廃止されるようになり、さらに戸主の同意を必要としていた当事者同士の婚姻に関してもお互いの同意が存在していれば結べるように変化したのです。これは現在の男女が結婚できる年齢に繋がっているでしょう。とはいえ、さすがに未成年というまだまだ成人とは呼べない年齢の少年少女をいきなり婚姻関係を結ぶということは現実的ではないでしょう。現行の法律においてもその年齢という問題にいくつかハードルを加えることで、未成年の婚姻に関しては保護者の同意を要することになる、根本的には繋がっていると考えて良いかもしれません。この当時の憲法で明記されていた夫婦の氏については夫か妻、どちらか好きな方を選択することが可能となっていましたが、原則としての夫婦同氏という名残は残ることになりました。この時代ではまだ海外の文化に対する考え方などが導入されていなかったのでそこまで広く問題になることはないでしょうが、現在の事を考えるとそうは言えないのかもしれないですね。

その後現行の法律で考えられている戸籍法が改正された後に施行されるようになり、戸籍も個人の登録へと変化するようになりました。しかし戸籍の編成基準が一組の夫婦と氏を同じくする子であることが明記されるようになっています。この時代ではまだ家族全員同じ氏であるというのは当たり前のこととして認識されていますから、時代の流れというものを考えるとここまで深い問題になっているんだと理解できると思います。現在の別姓問題というのは古い時代でいえば飛鳥時代から続き、それは現行法で施行されている戸籍法へとつながり、それが現在の問題点へとすべてが現在に集約することになるのです。一つの問題、ではなく古代から続くものとして考えたほうがもしかしたらまた違う見方も出来るかもしれないですね。

選挙行こう

具体的には何時頃からか

では実際にそんな別姓問題が国として議論すべきものだと見られ始めたのは1970年代頃になります。戸籍法が施行された数年後にも問題は出ていたといわれていますが、あくまで一部の問題でしょう。戦後という状況の中、確かに徐々に復興の兆しを見せるようになっていますがそれでも海外の文化に対して触れるようになっていたのはやはり国民の中でもほんの一部の人間しかいないのは考えなくても分かると思います。ただでさえ敗戦したという事実に落胆している日本人が多い中で、海外文化を寛容に受け入れられる人は多くないだろうそう考えたほうが自然なことではないでしょうか。となると、やはり別姓問題として考えられるようになったのは女性の社会進出についてという問題点とリンクすることになる、高度経済成長期といえるでしょう。この頃になれば時代に移り変わりから人の考え方も変わり始めて、海外を知ることで日本の悪いところを理解することが出来ると考えられる人も増えていったとも言えるのではないでしょうか。

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