隠れキリシタンの里

隠れキリシタンの里

ひっそりと神様を信仰します

キリシタン達の引きこもり生活が始まります、徳川幕府の時代になればキリスト教はほぼ国外通報という体裁を取られるようになってしまい、日本人でキリシタンとして洗礼を受けていた人たちにとっては肩身の狭い時代を過ごすことになってしまいます。当然彼らに改宗をするという意識はないので幕府としてはそんな異端者たちを断罪するために異教者狩りを笑顔で興じるわけであります。キリスト教徒としてそれまで活動していた人たちは当然、幕府の目の届かないところへ逃げていくことになります。でも逃げるといってもその当時は逃げるという行為が死を意味しているに等しいこともあったため、平民層の人々はひたすらに見つからないように努力を強いられることになります。

そして幕府もそんな信者に対して容赦をすることなく、神の子が描かれた絵を踏みつける『踏み絵』という政策を行なうようになりました。当然キリスト信者からすれば神の子を自らの足で踏みつけるなど万死にも等しい背教行為となります。しかし踏みつけないことには自分が信者だとばれてしまうため、心を殺して踏み絵を行なった人もいたかもしれませんがそんな人ばかりではなく、信者だとばれて断罪されてしまった人もきっといるでしょう。それでもキリスト教徒は減ることなく、ただ静かに家の中に神様と触れ合う場所を設けてそこで引きこもって信仰をします。現代人で言うところの現実からの逃避を敢行しているひきこもりですね、意味合いとしている理由は極限的に異なりますが。それだけ当時から考えればキリシタン達には辛い時代だった、ということです。

キリシタンとして活動していた人は大半がその後もキリスト教徒としてその身を神に捧げることになりますが、その教えは一子相伝的に引き継がれます。とある家ではそんなキリスト教である家系を貫くために北斗神拳の究極奥義を伝授するのは一人だけ、という勢いで引き継いでいくという家もあったのです。そしてそれは徳川家とその政権が倒幕したことで一気に状況は変わり、新しい世の中へと変貌したことで再びキリスト教に触れられるようになる時代が訪れるようになります。信者からすればまさに明けの明星、といったところなのかもしれません。ようやく訪れた暗黒期に指す一筋の光のように時代が変貌したことで、ようやくそれまで隠していた自分達の信仰している宗教を公にできるようになったことこそ、今の日本というものを形作っていくのかもしれません。

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茨市は隠れキリシタンの里が点在していた

表向きでは神仏の信者として活動している振りをして、本来はキリスト教の信者として活動している人々のことを『隠れキリシタン』と呼んでいますが、そんな人々は幕府からの目を盗むようにしてキリスト教徒として暗躍していましたが、弾圧の手はそれこそ根を張るようにして次々とその芽を剥ぎ取っていくようにしてキリスト教徒はほとんどいなくなってしまいます。そんな中でもやはり長崎といったキリスト教の伝来の地として名残のある土地柄ではそのような弾圧に潰されることなく長年引き継がれていくことになります。一時期は日本国内にキリスト教の教えを行なう新刊が一人もいなくなってしまう状況にもなってしまいますが、教えを捨てることなく必死に仏教徒として振舞いながらもキリスト教徒としての教えを捨てず懸命に信者としてあり続けた人々のことを『潜伏キリシタン』と呼ばれています。信仰心の厚さによってですが、やはり重度にキリスト教徒にその身を委ねる時間が長ければ長いほど教えを子孫に伝えて生きたいと考えるものです。それは家族、特に子供が複数いた場合には特定の一人にだけ自分がそれまでに培ってきた教えを説いていきます。まさに一族秘伝といったところでしょう。

そんな隠れキリシタンたちが多く住んでいた里が大阪府茨市にも存在しているのですが、日本人がキリスト教を知った当時の状況、特に隠れキリシタンとしてその身を隠していた隠れキリシタンの里がこの周辺に存在しているのです、この里は実は史実的に貴重な資料が残されており、中にはキリスト教であるという事実をその家系でも長男にしか伝来しないという徹底振りを行なっていたのです。しかもその事実は周辺に漏れることなく秘密が保持されることになり、明治維新を経験してその後大正時代に突入したときにようやく一族がキリスト教だったという真実が明るみになるということがあったのです。元々隠れキリシタンの里としての性質もあったことですから、隣家に住んでいた人は存じている可能性も考えられますが、禁教されてから200年以上の月日もの間において知られることなくそのまま秘伝に伝えられていたということを考えると、伝えるときにも細心の注意を払っていたのかもしれません。そうでなければ意外と知れ渡ってしまうものです。

そうした努力を結んだことで、その集落から重要文化財として認定されている聖フランシスコ・ザビエル像が発見されるなどの歴史的な発見が行なわれたのです。そこはマリア様なのでは、と思うのですが

きっと色々と理由があったということで納得しておきましょう。現代では政局の流れによってどこの党派が人気があるのかを視診出来る地域である大阪府茨市ですが、その昔から時代によって性質を変化させていくところは変わっていないことから、この地域では元々そういった特徴を持っているどの時代においても重要なポイントであると思えるでしょう。

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