東奈良遺跡

東奈良遺跡

茨市に最初に人が住んでいたことを証明する集落遺跡

茨市という街について触れるとしたら、やはりその最も代表的な遺跡について話をしていく必要があるでしょう。数多くの歴史を持っているこの茨市において最も古い歴史を紐解く鍵としては、やはり弥生時代から存在していると考えられている『東奈良遺跡』でしょう。この遺跡なくして茨市は語ることは出来ない、そう思っていいと思います。

この遺跡は南北に約1.4km、東西約1kmの規模を持つ大きな集落遺跡となっています。現代から考えれば街の規模として考えたとき、どうしても都会を基準にして考えるとこれを本当に大きいと認識できるかどうかです。当時はまだ今のように人も多くない時代だったことを考慮するとその広大さを理解できるのではないでしょうか。昔は人自体が多くなかったこともありますが、現在のような集合住宅のような便利なものは存在していないこともあって一つの住宅に一つの家族が住んでいるという構図が当然のように存在していました。そして集落として考えたときには確かに規模として大きいということもあったが、現在のように過程ごとに隔離された核家族のような間柄ではなく、一つの集落に住んでいる人として考えた場合には団結力は比べるものではないでしょう。今の日本ではそんな見知らぬ人が近くに住んでいても別段気にする問題ではありませんが、当時の人からすれば自分の集落に存在している人は当然知っていて、見たことのないよそ者に対しては敵と見なして排除する傾向にあったと考えると、時代を感じる不思議な瞬間であると個人的には考えています。

当時の人からすればこのくらいの範囲で特定の人数で、見知った顔で構成されている集落の中で形成された人間関係の中で生活をしていることを当然とし、自分たちが暮らしている集落の外に位置している人間は外部の敵として決して受け入れないと考えたら、この規模は住処でありそして砦であると思いませんか。その時の人からすれば自分達の生活を守るためにはこの規模で一定の人数だけで暮らしている環境を守ることで精一杯だったとも考えると、この大きさでどれだけの人が住んでいたかは分かりかねますが、当時の事を考えるとやはりそれなりに大勢の人間が居住空間を形成し、そしてそこを守っていたということになると重要な拠点としても意味を有することになると思いませんか?

発見は昭和46年の頃

この東なら遺跡が発見されたきっかけとしては、1971年に小川水路改修工事の最中に多量の土器や石器などが採取されたことでこの地域に何かが眠っているとして発掘が始まることになります。工事を計画していた業者としては歴史的発見をしたが金銭的なものとしては少し不満を感じることになったかもしれません。またこの頃にはこの付近一帯を高層住宅建設計画が浮上しているという、この工事で築くことがなければ貴重な歴史的史跡を一つ潰していたかもしれないという可能性があったという恐ろしいことがあったのです。何事も偶然の産物だと考えると都合よく聞こえますが、この遺跡は発見されるべきものだったと考えたほうがもっと良い考え方ではないでしょうか。

石器などが発見されたことでその地域一体を調査するために発掘チームが形成されることとなり、数年にも及ぶ調査の中において歴史的重要性の高い遺跡であるということが判明するのだった。確かにそうだろう、弥生時代からこの地域に人が住んでいた形跡が残されているというのは貴重な資料となる事は明白でしょう、もしも住宅建設がそのまま進行していたらこの地域がどれだけ古い歴史を持っていたのかという事実を日本人自らが闇の中に葬り去ってしまうところだったのです。嫌な思い出ならなくしてしまうという意味で埋めるということもありでしょうが、私達の歴史に関する確たる証拠である遺産を埋めてしまっては現代に住んでいる私たちからしても、大事な祖先たちの痕跡を粉々に砕くかのようにないものとしてしまうのはどう考えても悪行と見るしかないでしょう。その後も遺跡からは重要な歴史的資料となる出土品が発掘されたことで、この茨市という街がどのように当時扱われていたのかということを証明することになったのでした。

選挙行こう

明確な集落の機能は明らかになっていない

集落が発見されてから早40年以上の歴史となっていますが、実は具体的にこの東奈良遺跡が当時どのような集落として政治的ポジションを持っていたのかということはいまだに判明していないのです。一ついえることとしては銅鐸を各地に回せるという立場にあることがこの集落の謎を解き明かす鍵だといわれています。現在でもこの銅鐸が当時の人々にどのようにして扱われていたのかということは判明していないが、それでもある程度までなら使用用途は判明しているといわれています。

またこの銅鐸は気軽に作ろうと思えば作れるものではなく、この銅鐸を作る場所も限られていたという可能性もある。政治的な意味合い、そして具体的な用途としては現在も解明中ではありますが一つだけ確かなことは、この東奈良遺跡が当時でも巨大な銅鐸生成工場を保有していたこと、そしてそんな銅鐸を各地に配布することが出来る重要な政治的立場にいたことを考えると、現在もいまだ解明されていない歴史を紐解く鍵が秘められていると考えられます。学者としてはもはや宝の山といえるのではないでしょうか、今後もこの遺跡の発掘によって日本の歴史の新たな側面が発見されることを期待したいですね。

政治ニュース